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国際文化会館の庭園を見る-1

2017.02.15

■プロローグ
肌を突き刺す寒風の日、国際文化会館を訪ねた。日本庭園の見学は樹木が落葉し、見通しの良い時期が鑑賞日だと考えながら港区六本木の鳥居坂を上っていくと左手に国際文化会館が見えて来る。

この地は江戸時代に丸亀の多度津藩、京極家の江戸藩邸があったところである。明治の世になると所有者が次々と変わり、岩崎小弥太の時代には岩崎家の「和風迎賓館」が昭和5年に作られた。建築は大江新太郎、庭園は七代目小川治兵衛(植治)、当代一流の組み合わせであった。しかし戦後、三菱解体により土地は政府に物納されたが、昭和30年にロックフェラー財団の後押しで「国際文化会館」として甦った。この建物は当時最高の建築家、前川國男、板倉準三、吉村順三の3人が共同して設計し、その年の建築学会賞を受賞した。その際、植治の作った庭園は保存されたが、植治を離れ東京で岩城造園を作った岩城恒太郎氏がこの工事に立ち会っている。

■和から洋への場面転換
長々と故事来歴を記したところで入口部に到着した。鳥居坂に面した所は小松石の石積を施し、中に入ると大振りな自然石の石積と植栽が出迎えてくれる。正面玄関から入ると明るい光が押し寄せてくる。ロビーは2階にありシンプルで整形な屋上の芝庭が目に入る。そこでは玄関部の和の風情から洋の空間へといきなり場面転換が図られる。ロビー空間のプロポーションも美しく、庭の手摺りのデザインも心地良い。屋上の芝庭の背後には大きな常緑樹群の存在がたくましいが、主庭は見えて来ない。

主庭を見るべく地上階に下ると、平坦な芝生広場が広がっている。建物南部はレストラン、宴会場が占め、各部屋と庭園とは視覚的に密接に繋がっている。芝生広場の手前はシンプルに設えて建物を浮き立たせている。後方の空間は石組、樹木等の庭園の要素で構成し、それらの背後に築山と常緑高木が囲い込んでいる。

■庭園を歩いてみる
まず建物の近くから見てみたい。建物周りは比較的広い舗装を設け、庭園との境界を示している。中央付近に長さ5mもある花崗岩の敷石を置き、建物のボリュームを見事に受けているのが分かる。この敷石の表現は軟らかい割れ肌仕上げで、舗装よりほんの少し高く設置して美しい効果を出している。それに続く幅の狭い園路は黒砂利の洗い出しでスマートな曲線が美しくモダンな建物にぴったりと寄り添う。

園路を進み、東部から庭園を巡ってみる事にする。まず枯流れの端部に到着し、2本の石をずらした「いかだ」という手法で作った切石橋を渡る。ここから見わたすと、枯流れや滝添石等、水に関係あるものは青系統の川石系を使い、山道に入る所は山石系として場面転換を図っている。右手に置いた燈籠と周辺の石組のバランスが心地良い。振り帰って見ると芝生広場と建物、その背後に六本木ヒルズが見える。岩崎小弥太が見たらどんな感想を持っただろう。

山道の階段正面の大きな3石で、山のシンボルを表現していると見た。また丸みを帯びた石は山道のカーブを、手前の天端が平らな石は後方にある山形の姿の方を見せ奥行きを演出している。登り切った山道は常緑樹が主体、シイ、カシ、クス、モッコク、アオキなどうっそうとしている。そこから樹木を透かして建物がとても美しく見える。自然の姿と幾何学的なプロポーションの対比がそう思わせるのであろうか。頂上部に向かう園路は芝生広場より7~8m高く、南の市街地からは20m近くの高低差がある。これだけの盛土をしたのは大きな決断であったと共に大きな効果を庭園に与えている。

戸田芳樹

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