戸田芳樹風景計画

オーストリアの首都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿にはヴェルサイユ宮殿のバロック庭園に、荒廃した日本庭園らしきものを1997年然に発見した。
調査の結果、この庭園は宮廷庭師達が英国の日本庭園を参考にして1913年に作庭したものと判明した。しかし1914年に第一次世界大戦が勃発し、この庭園は長い間放置され、返り見られることがなかった。
1998年、庭園全体に覆い被さった植物や土砂を取り除き、石組を出し、池の護岸を直し、瀧組を調整して水を流し見事に庭園は完成した。この瀧石組みは日本の伝統と異なり一直線に組まれ、隣接する温室の長軸からのランドマークとなっており、両施設の関連性がうかがえる。
宮殿側から新しい日本庭園の作庭の依頼があり、修復庭園の左に枯山水を、右に茶庭を作庭した。枯山水は鶴石組で吉祥を表現し、音楽の都ウィーンに因み、サウンドスケープともいうべき水琴窟を設け、通り過きる人々を驚かせている。ここで使った石、砂、苔は宮殿内やウィーン近郊から入手したが、日本庭園の材料として違和感のないものであった。
茶庭は創作龍安寺垣、建寺垣に囲まれ、腰掛待合、中門、蹲踞、屋外茶室、延段、飛石を設け、本格的なしつらえである。燈籠は東西文化の交流の表現として、キリスタン燈籠と呼ばれている織部を選んだ。手水鉢は梵字で仏を表現した「四方仏」と称する13世紀の石造物とした。茶庭の入口部に設置した「鹿おどし」はシンプルな構成と自然な音色で人気を集めた。
オーストリアの首都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿にはヴェルサイユ宮殿のバロック庭園に、荒廃した日本庭園らしきものを1997年然に発見した。
調査の結果、この庭園は宮廷庭師達が英国の日本庭園を参考にして1913年に作庭したものと判明した。しかし1914年に第一次世界大戦が勃発し、この庭園は長い間放置され、返り見られることがなかった。
1998年、庭園全体に覆い被さった植物や土砂を取り除き、石組を出し、池の護岸を直し、瀧組を調整して水を流し見事に庭園は完成した。この瀧石組みは日本の伝統と異なり一直線に組まれ、隣接する温室の長軸からのランドマークとなっており、両施設の関連性がうかがえる。
宮殿側から新しい日本庭園の作庭の依頼があり、修復庭園の左に枯山水を、右に茶庭を作庭した。枯山水は鶴石組で吉祥を表現し、音楽の都ウィーンに因み、サウンドスケープともいうべき水琴窟を設け、通り過きる人々を驚かせている。ここで使った石、砂、苔は宮殿内やウィーン近郊から入手したが、日本庭園の材料として違和感のないものであった。
茶庭は創作龍安寺垣、建寺垣に囲まれ、腰掛待合、中門、蹲踞、屋外茶室、延段、飛石を設け、本格的なしつらえである。燈籠は東西文化の交流の表現として、キリスタン燈籠と呼ばれている織部を選んだ。手水鉢は梵字で仏を表現した「四方仏」と称する13世紀の石造物とした。茶庭の入口部に設置した「鹿おどし」はシンプルな構成と自然な音色で人気を集めた。









オーストリア
・ウィーン
Vienna, Austria
1999.5
0.1ha