街
2024/8/28
韓国釜山へランドスケープの旅-1
2024年5月23日から28日まで、久し振りに釜山に行ってきた。ソウルでのコンペ以来20年振りの韓国である。韓国には1980年から毎年、庭苑学会の会長であった閔庚玹先生の招きで、友人の小口基実君と友に古庭園の勉強に出掛けていた。当時、韓国の庭苑学会に参加する日本人はなく、この時に経験したお陰で横浜市鶴見区の三ツ池公園「コリア庭園」や熱海市梅林「韓国庭園」をつくることとなった。
学会の見学会で出会った金承煥先生は、ソウル大学を卒業して設計院に勤めていたが、日本への留学希望を持ち、後に筑波大学に留学することになった。今回のシンポジウムの誘いはその金承煥先生からで、釜山市の「バイオフィリックシティ宣言」に向けてのイベントであった。
釜山空港から市街地までの様変わりした風景には驚いた。釜山は山が街に迫った地形で、埋め立てながらまちを拡大していった都市である。その山々の間に超高層住宅が建ち並び、まるで香港の風景のよう。建物の高さを合わせると、パリのような市街地では美しいが、自然の山並みをバックにするとかなりの違和感があった。
今回、出迎えたもう一人の友人、邊文箕氏は30年以上前、設計事務所を経営していたにもかかわらず、当社で数ヶ月研修した経験を持つ。社長が不在の会社では維持できなくなり、そうそうに帰国したが、それからずっと長い付き合いが続いている。彼はランドスケープアーキテクトとして釜山とソウルで華々しく活躍していたが、数年前にすっぱりとやめ、今では「気功師」となって市民の為に力を尽くしている。その日は私も診察を受け、邊文箕氏のお宅で健康食を戴き快眠した。
翌朝、市内南区の海岸にあるヘマジ公園を訪ねて自然の風景と新しい施設、スカイウォークを楽しんだ。その後、釜山が一望できる荒嶺山に上り、市西部を流れる洛東江の乙淑島に渡り、「洛東江河口エコセンター」を訪ねる。ここは金承煥先生が40年の歳月を掛けて市民と共に活動して成し遂げた施設である。このプロジェクトは韓国にとって市民活動の草分け的な存在で、行政も巻き込んだ「100万坪」の公園として、これからさらに充実が期待されている。
センターには公園に飛来する鳥をはじめ様々な生物を分かりやすく展示、子供たちの姿も多く見られた。フィールドでは環境保全の実態が分かり易く示されており、利用主体の公園エリアと保全主体のフィールドエリアの配置が見せどころであった。
午後からの東亜大学の講演会は、アメリカからバージニア大学のティモシー・ビトリー教授などが参加し、「バイオフィリックシティ構想」を語った。私は、1970年代からの東京における「都市のランドスケープ」の変遷を10年単位で説明、特に2001年に完成した六本木ヒルズが都市の価値観の分岐点であったことを説明した。
少々驚いたのは、中国山東建築大学のシヤンティ・アンティ教授が中国の大学を出て韓国で学位を取り、中国で先生をしていることで、このコースを辿る学生も数人参加していた。中国と韓国のランドスケープの人材交流が意外に盛んなことを、現地で知ることとなった。
戸田 芳樹

荒嶺山より釜山の市街地を見る

海岸線にあるスカイウォーク

センターの展示室と外部空間

中央がティモシー・ビトリー教授、右は金承煥先生、左は戸田









