公園・緑地
2019/6/14
荒木芳邦の東京での作品を見る-3
■新しい石組の提案
塀や生垣ゾーンで限定されていない公園で従来通りの日本庭園の石組ではデザインが成立しないと荒木は考えたのではなかろうか。なぜなら石組はほとんどの場合、縮景としての表情を持ち、凝縮した石の素材感はぴったりであった。逆に公園は利用者が活動して成り立つもので、1分の1スケール、つまり身体スケールの空間である。だから石組をそのまま用いると矮小化された装置となり、公園や都市のスケールにそぐわない状況になってしまう。
だから、最深部にある山形の石は石の上に重ねて置いて、日本の伝統的な工法を取り入れていない。荒木は従来の日本庭園の石組の手法から飛躍して新たな意匠を組み立てようとしたのではないだろうか。滝口の石や園路の石積も公園の空間に合わせた広がりのあるデザインとし、素材の選定と納まりを新しく考案したのだと私は思った。イサム・ノグチと共に作品を作った石匠、和泉正敏の作品にもその系譜、石組と石積の中間的表現を感じる事が出来るが、どこかで交流があったのであろうか。
階段上に落ちた滝は斜めになった表面をなめる様に流れ、滝が表現する動と静の世界がわかり易く伝わってくる。最後の落水は弧をシンプルに描いた垂直の滝となり、一段下がった小広場に落ちる。小広場は滝と大きい広場の間にあり、両方のカーブを付き合わせた形で、前後を見渡すと「水の空間」と「広場の空間」を小広場が結び付けている事がわかる。
さらに見方を変えれば小広場は垂直と水平のデザインが交差した名状しがたい空間で、立ったままぐるりと一廻りしてみると何処かに連れ去られる様な不思議な気持ちにさせられる。そして奥に進むに従い狭くした滝は視線を奧に奧にと誘導し、公園全体を広く深く感じさせている。誠に秀れた景観のコントロールをこの公園に見る事ができた。
丁度、お昼時でサンシャインから流れ出た人達がお弁当やサンドイッチを食し、子供達の歓声も上がり、「ここは公園らしい公園だなぁ」とひとしきり感心し、辺りを見回すと住人らしき人が3~4人、これも都市問題のひとつである。
■エピローグ
今まで伊藤邦衛、小形研三など近代の造園デザインを牽引してきた作家を紹介してきたが、今回の荒木芳邦は現代のランドスケープに繋がるランドスケープアーキテクトとして忘れてはいけない人物だと強く思った。
すでに失われてしまったが、三井物産本社ビルの矩形に曲がる長大なアプローチは建築に負けない強さを持ち、まるで能舞台の橋掛かりの様な凜とした風情であった。さらに通路に沿った小振りな滝はヒューマンなスケールを持ち、この奧からカルガモの親子が行進してお堀に行ったという微笑ましいエピソードもあった。
また大正海上火災本社ビルの中庭に置かれた清水久兵衛の真赤のオブジェを上手く活かしたランドスケープも見事なものだった。これらの作品は建築家、彫刻家とのコラボレーションを巧みにコントロールして出来たもので、大変上質なセンスが作品から現れている。
NSビルの様にあまり条件のよくない案件でもなんとか辛抱強くこなし、年間20本以上の作品を生み出し続けた力は尋常では無い。この公園でも水平性と垂直性のデザイン言語を大胆に空間に取り入れ、さらに導入部に西洋の垂直性の意匠を用いながら、日本的な異界空間導入の技法を折り込み、見事な逆転劇を見せているなど、一筋縄にはいかない。
荒木は本当の意味で懐の深いプロフェッショナルであったのであろう。作品は関西方面が多いが、私も足を伸ばしてそれらを探訪したいと思っている。
戸田 芳樹

滝の最深部の石組

最深部の石積的石組

滝と端部の石組の取り合わせ

滝のディテール

滝後方の園路の石積

滝を斜めから奥行きを見る

滝と広場の間の少し低い広場

滝の全景を見る、水がないのが残念











