日本庭園
2024/2/20
旧芝離宮恩賜庭園を見た
久しぶりに旧芝離宮を見学した。JR浜松町駅に隣接しているのに意外と行く機会がない庭園である。入園して驚いたのは紛れもなく江戸の日本庭園がそこにあったからだ。もちろん周囲のビル群には目をつむらなければならない。ビルの間から遠く東京湾がわずかに見え、作庭当時は千葉の山々も見えたであろう面影が残されている。
そして、中央の大泉水の周りは美しく手入れされた黒松を涼しげに植栽。背後の常緑樹とその間に入れた落葉樹のバランスは植栽計画の鑑ともいうべきもの。さらに、埋め立て地としての立地に変化を付けるために山を築き、穏やかなアンジュレーションで景観をつくり出した。
この庭園の名所は中国西湖の景色を写した「西湖の提」や、ふたつの峰の「大山」、池の中央に構える中島の「蓬萊島」、海水取入口跡付近の「枯瀧石組」、たくましい石組の「唐津山」「根府川山」などである。
本来、旧芝離宮の目玉は「潮入りの庭園」であったはず。本庭より先の海岸が埋め立てられ、高層ビルが乱立して潮の香りもなくなり、そのうえ潮入りを止めたのである。これでは庭園の魅力は半減。その名残は枯瀧付近の水底に残る飛石だが、何だかさみしい。潮の干満の差は70~80㎝あるそうで、もっとダイナミックな景観になっていたはずと惜しまれる。何とか復活して欲しいものだ!
初期の大久保家時代(1678年頃)、小田原の庭師を呼び寄せて庭園をつくらせたようで、伊豆石、根府川石を使った石組が素晴らしい。日本庭園の美しさの骨子は「地割の美」と「石組の美」とされている。重森三玲氏は江戸時代中期以降、日本庭園の石組にめぼしいものはないと喝破したが、この庭園は江戸初期の最後の時らしく石組が強くて個性的である。ここの石組は大人しく収まってなく、一見バラバラに見える。しかし、じっくり観察すると石の傾き、力の方向、大小バランスなど、作庭者の技術と心意気が見えてくる。
都内一の名園「小石川後楽園」は1702年将軍綱吉の生母、桂昌院の来園に合わせ、安全のために園路周辺の大石を取り除いたため、今では見るべき石組は少ない。旧芝離宮の奔放な石組に接すると、小石川後楽園の取り除いた石組が残っていれば、日本一の名園がさらに凄いことになっていただろうと想像が止まらない。
石組は具体的な表現から抽象的表現まで幅が広く、その背景にある日本文化の蓄積がないと表現しているものが解りづらい。その中で、旧芝離宮の瀧石組は自然の瀧などからデザインを発想しており分かり易く、入門編の石組といえる。
交通の便利な場所にあるのだから、旧芝離宮庭園には何度も足を運んで日本庭園の真髄を見ていただきたいと思った。

屋敷跡から庭園中心部を見る

曲線主体の庭園に映える直線の西湖提

庭園にアクセントをつける2つの大山

西湖提から見た蓬萊島の石組群

海水取入口跡近くにある枯瀧石組

大石を扱った築山の石組

池泉のまわりの爽やかな黒松群
















